本日は、経済の話です。簡単に言うと、「リカちゃんのロンドン節約生活」 人のお金の話なら、聞きたいでしょう。ひひひ。ではでは。 皆さんは、「ワーキングホリデー」という制度をご存知ですか?これは、「ワーキング」してもいいし、「ホリデー」していてもいいビザのこと。このビザを発行する国にイギリスがあります。イギリスは2年間滞在可能なワーキングホリデービザを発給します。私はそのビザを獲得し、ロンドンで2年間、それはそれは、楽しい生活をしました。 まず、このイギリスワーホリビザを申請するにあたり、申請条件がいくつかあります。 その中に、25万円以上(確か)預金があること、というのがありました。
私は、きっかり25万円を工面し、イーストロンドン(ロンドンの東側)に到着。
イーストロンドンは、当時(2011年くらい)”hipster”ヒプスターと呼ばれるような若者が好む、トレンディな街でした。元々は治安の良くない場所ですが、おしゃれなマーケットやフラワーマーケット、カフェなど、若者たちが集まる場所がたくさんできていて、日本でも有名な、バンクシーのアートも家の近所にいくつかありました。 さて私は、ロンドンに着くなり早速仕事探し。そう、だって25万円しかないのだから。2年間25万円で生活なんてしていけない。出稼ぎに来たようなものですもの。
最初の1週間は自分へのご褒美(?)で、大好きなミュージアム巡りをしようと決めていました。今回のワーホリから約10年前に、1年間ほどロンドンにある語学学校に通っていたので、街の地理や様子は、なんとなく頭に残っていました。
思い出の場所や大好きなお店に行ったり、観光気分を存分に味わったら、さぁ仕事探しを始めましょう。最初に見つけたのはイギリス人女性がオーナーの日本食レストランで、ディナータイムのアルバイト。時給も悪くないし、家からもバスで一本だし。
というわけで、早速仕事開始。変な茶色の作務衣みたいなユニフォーム着て。
これ、本当に嫌だった。そのレストランはシティと呼ばれる金融街から近く、レストランのメニューも安いわけじゃない。でも、超超高級というわけでもなく。
ただレストランの内装はお金をかけていたと思う。食器にも。でもなんと言っても、日本人のシェフが作るお刺身のお造りは、本当に綺麗だったので、働いていて楽しかった。
そんなシティの真ん中で、バンカーたちが昼間から「SAKE」「SASHIMIィ」と得意げに注文する中、私は変な茶色い作務衣きて、お刺身になった魚がなんなのかも覚えられず、シティボーイたちに「More WASABIィ プリーズ」と何回も言われ、ドバドバにお醤油つて、「モアわさび」しているのを横目で見ながら働いていました。
このレストラン、お昼はまぁまぁですが、夜は暇な日が多い。 大丈夫かなぁと思っていたら潰れました。
あんな湯水のようにわさび使っていたら仕方ないよね。
さてさて、働き者の私はレストランのほかに午前中は違うアルバイトをしていましたから、レストランの職がなくなった時、収入源が複数あるというのは保険になるのだと身を持って学びました。この午前中のアルバイトは私史上最強に簡単な仕事内容(座っているのが仕事)で、時給もまぁまぁでしたから、絶対にやめたくない。何よりも人に恵まれた職場で、このアルバイトの支障にならない働き口を見つけたい。
ということで見つけたアルバイトは、毎日のように求人が出ている日系の百貨店。
私は、怖いものと世間を知らないので、働いてもいない面接の日に時給を「上げろ」と訴えるのです。翌日から、求人欄に掲載されていた時給と一ミリも狂いのない時給で、午後は百貨店でアルバイト。私は某イタリアンブランドの売り場が担当で、毎日靴を試着 し、バックを手に持っては、鏡の前に立ち、同じシフトの友人とあーでもないこーでもないと話しておりました。たまにスカーフも巻いちゃったりして。ははは。 朝から夜まで働いて、私が得た収入は月に10万円から12万円弱だったかなぁ。ここから全ての生活費をまかないます。ダンスレッスンにも通っていて、たまには洋服だって新調したい、美味しいものも食べてみたいし。と、お金が無いなりに、自分の欲求を満たしながら生活をしていました。そしてなんと国内旅行、海外旅行もしました。
さらに信じられないことは、帰国する時に私のイギリスの口座には残金もあったのです!
次回は「知識ゼロでもできるFX」「仕事に合間にポチッと副業」どうぞお楽しみに!
ヒャヒャヒャ。 さて次は、どうやって12万円で生活していたのかを思い出しながら書いてみようと思います。そうそう、嬉しいことがありました。ブログを読んでくれている方がいたのです。 信じられない!嬉しいな!まりちゃんだけじゃなかった!

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